妻と子供たちへの手紙
ここ数日迷っていた。
私的なしかも明るいテーマではないので読む人は
不快になるのではないか?
私自身の人格に関わる事だから。


月曜日に実家から戻り、家族に伝えなければならないことがあった。
結論だけ言葉で言うのは簡単だがそれに至る説明は
難しいと想い手紙にした。



おじいちゃんが寝たきりになって3ヶ月が経ちました。
今ではスプーンも使うことができず食事が一人でできませんし、体を動かすことさえできない状態になってしまいました。4種類の点滴と酸素吸入器。毎食毎に8錠の薬と睡眠薬の注射で「生かされている」と言えます。
このことから「錯誤」「妄想」が酷く、「組織に殺される」とか「お前は騙されている」と言った発言を繰り返します。同時に見舞いに来た同級生の女性を妹と間違えたりしています。
でも、認知症ではないので、理路整然とした言い方もします。困ったことに「怒り」を表現することが多いのですが。

今日、こんなことがありました。おじいちゃんが
「親子の縁を切るなんてことは、普通父親が酔った勢い言う言葉で素面の息子が父親に対して縁を切るなんて言うことは普通じゃない」

私は
「確かに5年前にそう言った。でもそれはそのときの本心だし、今も変わらない」
そういった後、涙がボロボロでてきてとまらなくなりました。


親父にとって私は今でも「理想の息子」ではなく「期待はずれの息子」だといえます。
親父自身はスポーツ万能で40歳まで現役でバスケットと野球をやっていました。自分の子供が
自分と同じではないことに我慢ができなかったのでしょう。

小学校低学年の頃、キャッチボールをしていて私は受け損ない親父の投げたボールを顔面に食らいました。
その時言われたのは「お前が鈍いからだ」
鈍い動きが遅いスポーツのセンスがない運動神経が悪いぼさっとしている・・・同級生にいじめられる言葉ではなく父親から言われていたのです。本当に褒められた記憶が無い。

スキーは多少できたけど6年生までに検定の1級を取れなかったのでそこで自分自身もやる気をなくしていたら容赦なく言われました「だからお前は駄目なんだ」
さかのぼると、年長の時にオルガン教室に無理やり入れられて、発表会の前日に出ないと言って当日出なかった時
また無理やり会場に連れて行かれ観客席一番後ろで「お前は負けたんだ」といわれたりしました。

嫌なことは、小さいときの記憶でも鮮明なのです。


これだけだったら良かったのですが、決定的な事件が起こります。それは22歳のときに亡くなった母親に関連してきます。

母は私を生む前から体が弱く、私が小学1年のときに弟を生んだのですが、1週間で亡くなりました。その頃から
病気がちになり、おばあちゃんやおばさんの家に預けられ事が多かったです。そして小学5年のときに乳がんを発症し、私が中学3年のころは放射線治療の影響で再生不良性貧血となり入退院を繰り返していました。家に戻ってきたときに両親と私で話をしました。そのとき両親の離婚話が持ち上がっていました。理由は病気です。

親父は言いました
「もし離婚するとしたらどっちについていく?」
私はいまだに後悔しているのだけど
「おとうさん」といってしまった。母はあまり表情を変えなかったけど、父は次に言った。

「おまえはソウユウやつなんだ。金のことしか考えていない。そりゃ経済力のないかあさんにはついていかないよな」



この言葉が一番引っかかっている。自分の発言にも後悔している。
この頃からコミュニケーションをしなくなった。父親のことをなんて呼んでいたか思い出せないくらい話してなかった。

その後は、いかに楽して大学に行き、この家をでることしか考えなかった。
そしてその通りにことは進み、4年間の学費と仕送りをしてもらった。この4年間は楽しく有意義であった。

やはり、公務員にしたかった父の指示を無視し、就職を決め、かあさんとの結婚のことも一切相談しなった。

そして、時が経ち5年前の話となる。
交流が無い孫と嫁。息子に対する不満を3時間くらいぶつけられた。
そして
私は「縁を切る」と言った。


おじいちゃんは徐々に弱ってきているけれど寝たきりが続くかもしれないし、いきなり心不全で呼吸は止まるかもしれない。それは医者にもわからない。

今日、孫と嫁に会いたい、と言うか会わせろと言っていたが、数分後に私も含めて「ぶん殴ってやる」とも言います。
正直、私はあなたたちに「親父に一目あってほしい」とは言いづらい。
でも
親父がかわいそうな気持ちもある。
一度考えてほしい。





3人に順に読んでもらった後、嫁と長女は終始無言。
ただ
長男だけが口を開きました。


小学生くらいまでは「おじいちゃん」という意識が確かにあった。
でも、遠く離れていること、そして父さんとの仲がうまくいっていないことは
見聞きしてわかり始めた中学生くらいから意識がなくなってきた。
おじいちゃんがこうゆうことになって、学校を休んで北海道に
行かなければならない事態になることを、受け入れられない自分が
いることに悩んでいる・・・・・結果、儀礼として捉えてしまうことに
なることに・・・

長男は泣きながら話しました。

きちんと話してくれた長男に対して、いい息子に育ってくれたと
純粋に想いました。



結論はでません。

私以外の3人は、仕事や学業の優先度合を高くして
「いざとなったとき」も行動するかもしれません。

このようなことになった責任はすべて私にあるのです。
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by sakutaro9 | 2011-06-04 08:20 | 日々書殴
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